2009年5月6日水曜日

逮捕状が発行されたスーダン・バシル大統領が意気軒高な理由を探りました。

アフリカのスーダンで、戦争犯罪などの容疑で現職大統領に異例の逮捕状が出てから2カ月がたった。
一見追い詰められた形の大統領が意気軒高な理由を探りました。

アフリカ・スーダン共和国のバシル大統領は3月9日、「われわれの目的は統一だ」と群衆に語りかけた。
3月、現職の国家元首・バシル大統領に国際刑事裁判所から逮捕状が出されるという異例の事態が発生した。
容疑は、人道に対する犯罪、ならびに戦争犯罪。
スーダンの西部の民族対立・ダルフール紛争で20万人もの住民が殺され、200万以上の国内難民が発生した状況を容認し、虐殺を行った勢力を組織的に支援したとされた。
逮捕状発行に、バシル大統領は「スーダンに対する陰謀だ。スーダンの統一に対する陰謀だ。スーダンの発展に対する陰謀だ」と激しく反発した。
スーダンは、アフリカ大陸で最大面積を誇る国だが、1956年の建国以来、内戦に悩まされている。
最初は南北間の内戦で、これはアフリカで最も長いといわれた20年以上の大規模な内戦だった。
現在一応の収束を見ている南部・ジュバに、取材班が入った。
アラブ系中心の北部に比べ、スーダン南部はアフリカ系住民が主体となっている。
中でも、この南部で今、特に目立つのが中国の存在で、町にはすでに、中国資本のホテルがあるという。
2007年に建てられたペキン・ジュバホテルは、5年後にはスーダン政府の所有物なるといい、それまでの間のビジネスだという。
ペキン・ジュバホテルの支配人は「戦争が終わったばかりで何もない。一から始めることは多い。不安はある。リスクは大きい」と語った。
内戦後で不安定要素も残るというこの地域に中国人がやってきた理由について、敬愛大学国際学部の水口 章准教授は「スーダンの南部は石油資源が豊富で、やはり注目されている部分だと思います。石油開発の中国は後進国でしたので、主要なところは欧米メジャーを押さえてしまう。そういう(内戦のスーダンのような)空白地帯にですね、中国が入ってくる」と語った。
2007年、中国の胡錦涛国家主席はスーダンを訪れ、バシル大統領との親密さをアピールした。
そのあとに向かったのは、石油生産施設だった。
南部地域で牛の群れが横切る道路は、中国企業がつくった「オイルロード」だという。
こうした道路の先にあったのは、稼働中の巨大な施設を持つ中国系石油採掘会社。
また、ある地域では、すでに役目を終え遺棄された掘削施設跡も目についた。
近隣の住民は「彼らは1年中、穴を掘っていたと思ったら、それで終わってしまった」と話した。
そして地元住民からは、こうした採掘にともなう環境汚染も一部指摘されている。
しかしバシル大統領は、中国とのかかわりを深める方向を変えてはいないもよう。
水口准教授は「(バシル大統領は)今回はダルフール地域において、非常に人権侵害を犯したということで、欧米の企業は進出しません。そうなると、やはり国家として出てこられる中国(の進出)という形になります。そうなってくると、(バシル政権は)やはり中国頼りという形の今の政権になっていくと思いますね」と語った。
バシル大統領を追い詰めた直接要因は、2003年ごろから表面化した西部のダルフール地域での紛争。
国連のアナン前事務総長は2005年、「安全保障理事会がダルフールの現状を国際刑事裁判所に報告するよう、強く要求する」と述べた。
アラブ系民兵によるアフリカ系住民虐殺事件と難民の発生は国際社会に衝撃を与え、現職大統領への逮捕状発行へつながった。
この問題に、中国は素早く反応した。
秦剛報道官は3月、「われわれは遺憾の意を表す理由があります。中国はこれからも引き続き、両国の友好的な関係を発展していきたい」と述べた。
またアラブ世界も反発し、バシル大統領も参加した3月末のアラブ連盟首脳会議では、逮捕状の発行に反対、逮捕に協力しないことで一致した。
逮捕状発行後、バシル大統領は、ダルフールなどに展開していた欧州の援助団体を国外追放し、その一方で、相次いで近隣諸国を訪問した。
大統領への逮捕状の効力を「有名無実化」し、強硬姿勢を貫こうとしている。
水口准教授は「やはり今のスーダンの内政が、各地方でバラバラに動き始めているとか、いろんなトラブルが起こっているということを見ると、アフリカ全体に飛び火をすることもある」と語った。
(05/06 01:55)

http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00154541.html