2008年5月5日月曜日

<コラム>オリンピックと政治

<コラム>オリンピックと政治



中華人民共和国は1949年に誕生した。しかしオリンピック(五輪)で中国選手団の姿を見ることができたのは、なんと35年が過ぎた84年のロサンゼルス五輪の時だった。中国は53年に国際オリンピック委員会(IOC)に加盟したが、56年のメルボルン五輪には参加しなかった。オリンピックに台湾が参加するという理由だった。台湾問題が解決されていないため、57年にはIOCから脱退した。中国がIOC再加盟の承認を受けたのは79年。しかし80年のモスクワ大会では、当時のソ連のアフガニスタン侵攻に抗議する米国に同調し、ボイコットした。

北京オリンピックの開幕が100余日後に迫った。しかし依然として落ち着かない雰囲気が続いている。独立を要求するチベット人のデモを武力鎮圧したことに抗議し、開幕式に参加しないという国家元首が出てきている。あちこちで抗議者が聖火リレーを妨害したりもしている。中国は「オリンピックを政治化するな」と声を高めている。歴史は繰り返されるというのは明白であるようだ。

IOCが制定した‘オリンピック憲章’には、「オリンピックは純粋なものでなければならず、いかなる差別もあってはならない」という内容が明示されている。「オリンピックの目的は、人類の平和を維持し、人類愛に貢献すること」(第1条)、「国家または個人に対して人種・宗教・政治上の理由で差別待遇してはならない」(第3条)という条項がそうだ。

しかしオリンピック精神を守るべきだという声を高めるのは、それだけ守るのが難しいという逆説でもある。近代オリンピックの歴史を見ると、政治的に利用されずに開かれた大会のほうがむしろ少ない。ドイツのヒトラーは執権するやいなやオリンピック誘致に乗り出し、36年のベルリン五輪につながった。オリンピックをイデオロギーの拡散機会として利用したベルリン大会は、オリンピック精神を傷つけた代表的な大会に挙げられる。力で権力を握った全斗煥(チョン・ドゥファン)大統領が総力を尽くして88年ソウル五輪を誘致したのも‘純粋’とはかけ離れている。

72年のミュンヘン大会は人質事件で17人が命を失った‘血のオリンピック’として記録されている。イスラエル選手団の宿舎に侵入したパレスチナのテロ団体‘黒い9月’の要求事項は「イスラエルに収監されているパレスチナ捕虜の釈放」だった。80年のモスクワ大会はソ連のアフガン侵攻に抗議する60カ国余りがボイコットし、半分規模のオリンピックとして開かれた。84年のロサンゼルス大会では東欧圏の報復ボイコットがあった。モスクワ大会に出場できない英国の漕艇選手クリーン・モイニハンは「オリンピックに政治が入り込んだため、私は一生夢をあきらめなければならなかった」と語った。

オリンピックに度々ほかの要素が割り込む理由は何か。オリンピックこそが自分の主張を世界万国に知らせられる絶好の機会であるからだ。

オリンピックは全世界の耳目が集中し、各国のメディアが取材競争をするワールドイベント。メディアに露出するのなら過激な方法でも動員するのがむしろ自然な現象だ。チベットの人々がオリンピック聖火の採火式から独立を要求するデモを繰り広げたのも同じ脈絡だ。

中国が野心を持って準備した歴代最長区間の聖火リレーは、抗議者によってあちこちで妨害されている。パリでは3回や聖火が消え、サンフランシスコではリレー区間が変更・縮小された。

いよいよ27日、韓国で聖火リレーが行われる。すでにリレー走者の数人がリレーを拒否している一方、人権団体はこの日、大規模な市民大会を開いて聖火リレーを阻止すると公然と話している。警察は万一の事態に備えて聖火リレー区間を知らせず、区間の変更も考えているという。

自分の主張を述べるのはよい。聖火リレーが主張を広く伝えるうえで良い機会でもある。しかしリレーを妨害してはならない。それは暴力だ。‘暴力に反対するために別の暴力を使う’という格好になる。

中国が苦境に立たされた姿を見ながら喜んでいる韓国人は少なくない。歴史歪曲問題、北脱出者の強制送還、嫌韓流の拡散などで悪化したイメージのためだ。

しかしそのすべてを認めるにしても、北京オリンピックは成功しなければならない。オリンピックはそれ自体で意味のあるものだ。主義、主張や理念を離れ、世界のたくましい若者たちが力と技を競う舞台で、喜びと感動を感じることができるからだ。

http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=99309&servcode=100§code=120