2008年5月5日月曜日

正論・国際教養大学理事長・学長 中嶋嶺雄 胡錦濤訪日の意味するもの

正論・国際教養大学理事長・学長 中嶋嶺雄 胡錦濤訪日の意味するもの
2008.5.2 02:20


 ≪どんな気持ちで迎える≫

 正常な国際感覚と中国観をもつかぎり、建国後初の戒厳令を公布して前回(1989年)のチベット騒乱を徹底鎮圧した当事者でもある胡錦濤・中国国家主席を今この時期に国賓として迎え、日中友好をたたえることなどあり得ないと思うのだが、日本政府や与党首脳の認識は、次元を異にしているようだ。

 福田首相は胡錦濤主席を6日から10日までわが国に招き、胡主席は日中首脳会談や日中平和友好条約締結30周年記念式典に臨み、天皇・皇后両陛下に謁見(えっけん)、早稲田大学での講演や日中両首脳の「ピンポン外交」、池田大作創価学会名誉会長との会談、横浜中華街、奈良の法隆寺、唐招提寺への訪問も行う予定だと報じられている。多くの日本国民はどんな気持ちで、この現実を受けとめるであろうか。

 私は去る3月20日付本紙「正論」欄でチベット騒乱について書き、「『食』や『環境』、それに『人権』で不安の大きい北京五輪のボイコットとまではいますぐ結論を出さないにしても、この5月の日中首脳会談の開催はひとまず延期すべきだ」と提言したのだが、日本政府の意思決定にはつながらなかった。

 一方、チベットの騒乱と鎮圧が続くなかで、チベット民衆への同情・共感と中国当局への批判や抗議は欧米諸国を中心に全世界的な広がりを示し、北京五輪の聖火リレーは各国各地で多くのトラブルに出合っている。わが国でも、長野市の善光寺がチベット仏教への弾圧も理由に挙げて聖火のスタート地点になることを辞退し、4月26日の聖火リレーは、物々しかった。

 ≪朝貢国のような露払い≫

 このような国際的な波紋と衝撃にもかかわらず、日本政府や与党の首脳はきわめて無神経かつ鈍感に事態に対応しようとしている。

 とくに全世界にチベット問題での抗議の渦が高まっていたこの4月中旬に自民党の伊吹文明幹事長と公明党の北側一雄幹事長が与党代表団として胡錦濤訪日の露払いのように訪中し、北京人民大会堂での胡錦濤主席との会談を求めたのは、いかがかと思う。

 明敏な伊吹幹事長は、日本国内向けには「チベット問題でも中国側に物申した」旨を発言されていたが、両幹事長との会見を一面トップに写真入りで報じた『人民日報』(4月17日付)は全くそんなことには触れず、もとよりチベットのチの字も報ぜずに、「伊吹文明は、中国が行うオリンピックを支持する日本の立場は一貫しており、今後も変わらないと表明した。北京オリンピックはアジアの盛典であり、日本側は北京オリンピックが成功することを今から祝っている」と書いている。そして最後に『人民日報』は、「伊吹文明はさらに胡錦濤主席宛の日本首相福田康夫の親書を手渡した」と結んでいるのである。この報道ぶりは、まさに朝貢国の使節が中華皇帝に拝謁(はいえつ)しているようなかたちになっていた。

 中国当局は4月25日、チベット亡命政府のダライ・ラマ14世側との対話再開の用意がある旨を表明したが、問題の解決には程遠いであろう。

 ≪首相の真意とその危険性≫

 では、福田政権はなぜこの期に及んで中国に手を差しのべ、胡錦濤訪日を実現させようとするのであろうか。福田政権への支持率が急落するなかで、「世界の中の問題国家」中国のトップを友好的に招くことが、政権のイメージアップにつながるとはいえないであろう。

 マイナス効果の方が大きいのではないか。高村外相や町村官房長官の対中国認識はそれほど異常だとは思われず、日中間の戦略的互恵関係という外務官僚の政策形成も従来のいわゆるチャイナ・ロビーの手によって縛られているわけではないので、福田首相の不透明な意思形成が時間の経過と多忙な国会運営によって助長され、外交日程の方が先に固まってしまったとも考えられよう。

 福田首相の外交ブレーンの学者・専門家と私などとの中国認識や国際関係認識は大きく隔たっているが、それらの諸氏は中国情勢がこれほどまでに深刻化するとは見ていなかっただけで、今の時期の胡錦濤来日を左右しているとは思えない。結局は福田首相の意思にかかっているのだが、福田康夫氏個人の中国認識や台湾認識はすでに久しい以前から「確信犯」的に中国傾斜だと私は見てきている。

 半面、今日の中国問題の大きさは、チベットやそれに続くウイグル族の動静とともに、人類の未来を危機にさらしかねない世界史的課題だといえよう。一内閣一首相の意向で、オリンピック聖火をかかげて台頭したナチスの膨張を許した「宥和政策」に等しいようなことになるならば、取り返しのつかない歴史の過ちを犯すことになりかねない。(なかじま みねお)


http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080502/plc0805020221001-n1.htm