2008年7月31日木曜日

思い秘め競技へ 北京五輪出場の各国選手

思い秘め競技へ 北京五輪出場の各国選手
2008年7月30日

 八日開幕する北京五輪大会。独立から間もない新興国の選手や、内戦の母国から逃れて新天地で頭角を現した選手ら、胸に思いを秘めて競技に出場する顔ぶれの活躍も、一つの見どころです。

ウクライナ ロシアと因縁の対決
 新体操といえばロシアのお家芸だが、メダル独占を狙う大国の行く手を阻む女性選手がウクライナにいる。アンナ・ベッソノワ選手(24)だ。

 アテネ五輪で個人総合銅メダル。昨年の世界新体操選手権では優勝候補とされたロシア選手を抑え、個人総合で初優勝した。本家の面目を傷つけられたロシアのヘッドコーチは「ベッソノワへの採点は客観性を欠いている」と審判委員にかみつき物議をかもしたが、ベッソノワ選手は「ロシアの選手は敗北から学ぶべきだ」と冷静に切り返した。

 一七三センチの長身。長い手足を生かした豊かな表現力には定評がある。エキシビションでの十八番、「白鳥の湖」での演技は一流バレリーナ顔負けだ。

 キエフ生まれ。父親はソ連時代の伝説的なサッカー選手、母親も新体操団体の金メダリストとスポーツエリートの家庭に育つ。地元紙のインタビューに「恋に夢中になったことはない」と答えるなど体操一筋。一方、引退後はファッションモデルや映画女優に挑戦したいとも。

 ベッソノワ選手に最近会ったウクライナ「ファクティ」紙のドラゴ記者は「北京での自分の成功に確信を抱いているようだ。ウクライナの新体操の伝統を受け継いだ彼女が勝つと思う」と期待する。新体操女王の座をかけたウクライナ対ロシアの対決は国威をかけた闘いとなりそうだ。

 (モスクワ・常盤伸)

モンテネグロ 独立果たし20人初舞台
 選手たちが国の誇りをかけて戦う場でもある五輪。今回の北京五輪には、主権国家として独立間もないモンテネグロが二十人の選手団を送り出す。

 モンテネグロは旧ユーゴスラビアを構成した共和国のひとつ。クロアチアやボスニア・ヘルツェゴビナなど他の旧ユーゴ諸国がセルビアとの内戦を経て独立を果たしたのに対し、モンテネグロは最後までセルビアと連邦を形成。二〇〇六年五月の住民投票で平和裏に独立を果たした。

 独立はセルビアも納得ずくで宣言されたため、モンテネグロはただちに国際社会の承認を得て国連に加盟。国際五輪委員会の正式メンバーとなり、北京五輪が初舞台となった。セルビアの反対を押し切って独立を宣言したコソボとは対照的だ。

 モンテネグロ選手団の中でも、メダルに最も近いとされているのが、柔道男子81キロ級に出場するスルディヤン・ミルバリエビッチ選手(24)。モンテネグロ中部の人口約六万人の町ニクシチに生まれ、柔道家の父親の手ほどきを受ける。昨年のブラジルでの世界選手権では二回戦まで進出した。所属するハンブルク柔道チームのマネジャー、トーマス・シノールさんは「彼の最大の目的は、モンテネグロに初めてのメダルをもたらすことだ」と送り出す。

 モンテネグロ五輪委員会のドゥサン・シモノビッチ会長は「独立国家としての地位を得た今、世界の舞台で技量を示したい」と抱負を語っている。(ベルリン・三浦耕喜)

中国 元女王 メダルへ再起
 「元女王」が過去の栄光を捨て、母国の大舞台で最後の戦いに挑む。

 王楠選手(29)の名を中国で知らない人はない。東北部の遼寧省で七歳から卓球を始め、十五歳で代表入り。二〇〇〇年シドニー大会のシングルス、ダブルスで二冠を果たし、人気、実力ともに女王の座を手にした。中国超級リーグでダブルスを組んだ福原愛選手からは「大先生」と慕われる。

 だが、卓球人口が三億人といわれる中国は世代交代も速い。〇四年アテネ大会シングルスは四歳年下の張怡寧選手(25)が制覇。現在のエースは昨年の世界選手権王者の郭躍選手(20)だ。

 王選手は〇五年にいったんは「今後、国際大会には出ない」と代表からの引退を表明し、不動産業を営む資産家の郭斌さんと結婚。だが「自国での五輪開催は他の五輪と意味が違う」と、中国女子で初の三大会五輪出場を目指し、再起した。

 速さでは若手に及ばなくとも、相手の動きを見極め、左手から放つ正確なショットは衰えない。北京五輪代表には郭、張両選手に次ぐ三番目で滑り込んだが「二位以下は失敗。金メダルしかない」と言い切る。

 中国の国技、卓球で活躍した選手には地位と名誉が与えられる。王選手は昨年の共産党大会に約二千二百人の代表の一人として参加した。「服もラケットも靴下も、すべて国から与えられた。今、私たちが国に報いなければならない」。自身のプライドと国家の威信を背負い、夏の祭典に臨む。 (北京・平岩勇司)

米国 難民の青年 代表入り
 七年前、難民キャンプで米国移住の夢をつづっていたスーダン出身の青年が、陸上王国米国で五輪代表の座をつかんだ。内戦が続く母国の悲痛な叫びを背に、北京で疾走する。

 男子千五百メートルのロペス・ロモング選手(23)は、スーダン南部生まれ。紛争で知られる西部のダルフールとは離れた地域だが、六歳の時、少年兵集めの武装勢力にさらわれ、家族と離れ離れに。

 武装勢力の労働キャンプを脱走し、三日間、水もほとんど飲まずにさまよった。ケニア国境で、難民キャンプに収容された。

 一日一食の生活だったが、人生を変える場面に出会った。二〇〇〇年のシドニー五輪。約八キロを走り、ようやく見つけた白黒テレビに、二個目の金メダルを取った米国の陸上選手マイケル・ジョンソンが映っていた。

 「この人みたいに走りたい」。翌年、米国の難民受け入れプログラムに申し込み、十六歳でニューヨーク州の家庭に引き取られた。

 シャワーの使い方から習い始めながら、すぐに陸上選手として頭角を現し、州大会を制覇。北アリゾナ大学に奨学生で入学し、昨年、米国籍を取った。

 晴れの舞台は、スーダンへの武器供与が指摘される中国。自身のホームページにこうつづる。「武器は国防のためでなく、罪のない市民を殺すために使われていると、中国に伝えたい」(ニューヨーク・阿部伸哉)

http://www.chunichi.co.jp/article/world/newworld/CK2008073002000245.html