2008年3月4日火曜日

【コラム】北京五輪と政治問題

【コラム】北京五輪と政治問題(上)


 「北京オリンピックで中国の人権・言論・独裁に関わる発言をするのは選手の自由の問題だろうか」


 8月に開幕する北京オリンピックを前に、世界のスポーツ界ではこうした疑問が「熱いジャガイモ(下手に手を出すとやけどをするので手を出し兼ねる難題)」として浮上している。各人権団体は「中国の人権・言論弾圧についてオリンピックを機に真正面から取り上げる」と意気込んでいる。元・現職スポーツ関係者ら約200人からなる「チーム・ダルフール」などの団体は、中国政府がアフリカ・スーダン政府のダルフール民族浄化をほう助していると激しく非難。米国の映画監督スティーブン・スピルバーグ氏は先月、こうした団体の圧力に押され北京オリンピック開会式・閉会式の芸術監督を突然辞退した。


 各国のオリンピック委員会も悩んでいる。ベルギー・オランダ・イギリスといった欧州連合(EU)諸国やニュージーランドのオリンピック委員会は、選手たちにチベット独立問題や1989年の天安門事件について話さないようクギを刺し論議を呼んだ。また、英オリンピック委員会は選手たちから「北京オリンピック期間中は敏感な政治問題に言及しない」という「沈黙の誓約」を取り、批判を浴びた。表現や言論の自由の原則に反するためだ。


 もちろんオリンピック憲章では、「オリンピック競技の場ではいかなる政治的・宗教的・人種的主張もしてはならない」と規定されている。歴史上において、オリンピックの場で政治とスポーツが互いの領域を侵した結果は破局でしかなかった。ナチの宣伝の舞台になった36年のベルリン・オリンピック、米国の黒人選手たちが黒い手袋をはめ、黒人の人権問題を訴えた68年のメキシコシティー・オリンピック、テロリスト集団「黒い九月」がイスラエル選手11人を殺害した72年のミュンヘン・オリンピック、西欧諸国がボイコットした80年のモスクワ・オリンピック、逆に東欧諸国がボイコットした84年のロサンゼルス・オリンピックなどがその例だ。


 だが、「自由と人権という普遍的な価値に関する主張まで制限するのは、オリンピック精神にそぐわない」という人権団体の主張にも一理ある。


スポーツ部=キム・ドンソク次長待遇


http://www.chosunonline.com/article/20080303000041






【コラム】北京五輪と政治問題(下)


  問題は、諸外国が北京オリンピックの政治的特殊性について深く悩んでいるのに対し、韓国政府やスポーツ界はまるで別世界の話というように無関心だということだ。韓国にはオリンピック代表選手が守るべき政治的中立義務などに関する具体的な規定や方針がない。2004年のアテネ・オリンピックの選手団規定を見ると、第6条第1項と第2項に「選手団の名誉、国の威信を傷つけた者は帰国措置などの懲戒を受けることもある」という広義の品位規定があるだけだ。


 一方で、米国オリンピック委員会の姿勢は参考に値する。「公式行事で“民主主義万歳”というスローガンが書かれたTシャツを着ることはできない。だが、個人の休憩時間には何を着てもその選手の自由だ」という具合に線引きをしている。また、名誉大使としての代表選手の役割に関するセミナーを開き、「どのような立ち振る舞いが適切か」について選手と討論し、教育する機会を設けている。


 オリンピックが始まれば、記者ら数万人が北京に押し寄せる。突然の「敏感な問題を含む質問」に途方に暮れる韓国の金メダリストたちの姿が全世界にテレビで生中継されたり、慎重さに欠ける受け答えが外交的に波風を立たせることになるかもしれない。


 韓国でも穴だらけの選手団規定を強化し、中国の特殊な政治事情について教育すべきだ。表現の自由の限界とはどこまでなのか、敏感で政治的な質問にはどのように対応すべきなのか、選手たちと共に話し合う必要がある。それを怠るのであれば北京で「政治オリンピック」の罠にはまり、苦しい立場に立たされることになる可能性もある。


スポーツ部=キム・ドンソク次長待遇

http://www.chosunonline.com/article/20080303000042