2008年8月6日水曜日

オリンピックという中国の悪夢?

オリンピックという中国の悪夢?
China's Olympic Nightmare


エリザベス・C・エコノミー 米外交問題評議会シニア・フェロー兼アジア研究担当ディレクター
アダム・シーガル 米外交問題評議会中国担当シニア・フェロー使

 

「2008年オリンピックが長期的にどのような結果をもたらすにせよ、これまでの状況は北京が夢見たオリンピックの栄光とは程遠い。中国は世界の称賛を浴びるどころか、内からの抗議と外からの非難に頭を悩ませている。北京は政治改革をするつもりがあるのか、責任あるグローバルアクターになるつもりがあるのか。この点での国際社会の疑念は高まる一方だ。本来、オリンピックはこうした疑念を鎮静化させるはずであり、再燃させるものではなかったはずだ」
Elizabeth C. Economy ジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究所(SAIS)講師、全米米中関係委員会委員を経て、現在は米外交問題評議会(CFR)のシニア・フェローで、アジア研究担当ディレクター。専門は米中関係や中国の環境問題で、著書に『中国の黒い河(“The River Runs Black”)』がある。

Adam Segal CFR中国担当シニア・フェロー。『デジタル・ドラゴン─中国のハイテク企業』の著者。



 
 
オリンピックと中国政府のジレンマ
 2001年7月13日夜、天安門広場には、2008年夏季オリンピックの開催地を北京とする国際オリンピック委員会(IOC)の決定を祝って数万人の市民が繰り出していた。あちこちで爆竹が鳴り響き、国旗が掲げられ、道行く車はクラクションを鳴らし、誰もが歓喜に酔いしれていた。

 江沢民国家主席(当時)を始めとする中国指導層は、「オリンピックの準備に向けて力を結集するように」と民衆に訴えた。「開催地に選ばれたということは、国際社会の敬意と信頼と好意を勝ち取ったということだ」と、北京オリンピック組織委員会の王偉執行副委員長は力強く表明した。国営新華社通信も、当時の中国の熱狂を裏づけるかのように、IOCの決定は「国際社会における中国の地位向上を示すさらなる証拠であり、偉大なる中国の復活を示す歴史的な出来事だ」と報道した。

 オリンピック開催は、北京の指導層が中国の急速な経済成長と近代化を世界にアピールするチャンスになるはずだった。国内的にも中国共産党の力量を示すとともに、中国が欧米と対等な大国であることを人々に印象づけるチャンスだった。オリンピックという価値を纏えば、たんに成長著しい大国というだけでなく、「平和を愛する国」というイメージをアピールすることもできた。実際、開催地決定から最近まで、北京はこうしたメッセージをうまくアピールしてきた。

 オリンピックに向けた準備プロセスは、現在の中国の政治的・経済的な力を広くアピールできるように入念に計画された。大がかりなマナー向上キャンペーンも計画・実行され、文化と商業の両面で輝かしい未来を持つこの国に、世界の注目と投資を引きつけようと、トップダウンで資源が動員された。大がかりなインフラ整備計画に大規模な資源を動員するのは中国がもっとも得意とするところだ。歴史的にみても、中国の指導者たちは、万里の長城や京杭大運河、三峡ダムなど、世界有数の巨大建造物を、多くの人々を動員することでつくり上げてきたし、オリンピック関連施設の建設ラッシュでもこれと同じことが繰り返された。

 北京はオリンピック開催のために新たに19の施設を建設し、地下鉄の輸送能力を2倍に増やし、空港に新ターミナルを増設した。北京郊外の町はオリンピックがらみの観光客を見込んで整備されるか、オリンピック関連施設の建設用地として接収された。こうした建設ラッシュに政府が用いた資金は400億ドル近くに達する。

 政府は市民のマナー向上と首都の近代化にも乗り出した。つばを吐いたり、喫煙やゴミのポイ捨て、さらには列への割り込みを禁止するマナー向上キャンペーンが開始され、タクシーの運転手や警察官、ホテル従業員、ウエーターに英語を教えるプログラムも導入された。北京市も、政府のオリンピック・プロジェクトを利用して、老朽化した建物を再生し、大気汚染、水不足、交通渋滞の緩和をシステマティックに試みてきた。

 だが壮大なイベントの実現に向けて政府が精力的な努力を続けているとはいえ、オリンピックは中国の著しい発展だけでなく、現体制の重大な欠陥を浮き彫りにしつつある。これまでのところ、オリンピックをきっかけに共産党の正統性に対する根強い政治的不満がどの程度高まり、国内の安定にどのような影響を与えるかを検討した中国の指導者はほとんどいないようだ。だが、国内の政治的自由化、チベットの自治の拡大、スーダン政府に対する圧力強化を求める外からの声が高まり、環境保護対策や製品の安全基準の強化を求める声も強く、オリンピック開催をきっかけに国威発揚を図るという計算に狂いが生じてきている。オリンピック開催をアピールするはずの聖火リレーも、世界各地で大規模な抗議デモに遭い、いまや北京にとってオリンピックに向けた夢は、対外広報上の悪夢と化している。

 インフラ整備は得意でも、中国政府は、透明性や説明責任、法の支配という面ではお粗末な結果しか残せていない。国内外からの政治的要求への対応もうまくない。国際社会はかねて、スーダンとの通商関係を持つ中国は、ダルフールでの人権危機の解決に向けて積極的な役割を果たすべきだと主張してきたが、北京は当初この要求を無視したばかりか、中国の政治活動家を逮捕したり、デモを力ずくで抑え込んだりしてきた。

 中国の政治体制に変化を求める国内外からの要求が組織的に行われてきたわけではない。だが、中国の政策変更を求めるさまざまな声が、北京オリンピックに向けた輝きを色あせたものとしてきたのは事実だろう。チベット人や欧米のチベット支持者の抗議に対する反発から、中国内でナショナリズムが高揚した結果、中国共産党への支持は一時的に高まったが、北京は、民衆の怒りが制御不能になり、国際社会における中国の評判がいっそう傷つく危険もあると状況を懸念している。「責任ある新興大国」という中国が売り込みたいイメージはすでに汚されている。

 国際社会を構成する多くの国にとって、中国が見事な成長を遂げる一方で、人権や環境問題では依然として劣悪な記録しか残せていないことは自明であり、この二つのどちらかだけに目を向けるのは難しい状況になってきている。もはや国内の亀裂を無視して、中国の未来を議論することはできなくなった。これは、中国政府が大きな正念場に立たされていることを意味する。直面する政治的課題を平和的にうまく解決できなければ、世界のリーダーとしての信頼性も、途上国のモデルになる可能性も、世界の商業と文化の新しい中枢となるという夢も潰え去ることになる・・・

http://www.foreignaffairsj.co.jp/essay/2008078/economy_segal.htm