2007年7月12日木曜日

ダルフールの石油を巡る複雑事情

西日本新聞にダルフール問題の記事が出ていました。
やっと日本のマスコミでも取り上げるようになりました。

ダルフールの石油を巡る複雑事情 2007/07/12

--------------------------------------------------------------------------------

 国際社会から目を伏せられてしまった悲劇の地「ダルフール」は、4年に渡って延々と繰り返される大量虐殺、集団強姦、徹底放火によって無法地帯と化している。20万人以上がただ殺され、100万人規模の難民が発生し、隣国チャドや遠くイスラエルなどにも流入している。そもそもダルフール地方のあるスーダンでは、1956年の独立以来、北部のアラブ人勢力と、イスラム化に反対する南部のキリスト教徒との間で内戦が続いていた。1972年に一時的に終結したものの、1983年、政府がイスラム法の導入を強引に押し進めたことから再び内戦に突入した。この内戦を通じての死者は200万人と発表されている。

 泥沼の内戦は2002年になってようやく休戦宣言がなされ、近隣諸国やアメリカの介入によって「石油などの歳入を、北部のアラブ人政府と南部の非アラブ暫定政府とで分け合う」などで合意し停戦を迎えた。ところがこの合意は、ダルフール地方の黒人たちの意向を全く無視したものであったため、彼等は再び武装蜂起し、スーダン政府施設を攻撃した。南北の和平ばかりに目を奪われ、ダルフール地方の地域差別問題を軽視したことが問題だった。虚をつかれたアラブ人達は、民兵組織「ジャンジャウィード」を結成し、これに応戦、国内は再び内戦の危機に陥った。

 アメリカはこの時期、イラク問題を抱えていた上に「アメリカはスーダンの石油を狙っている」との国際的な批判と、さらには1998年の濡衣とも言える「アメリカによるスーダン空爆」の遺恨もあり、早々に撤退していた。さらにスーダン政府は「これは国内の一部民族による小競り合いである」として国連の介入を拒んだため、ダルフールの虐殺は国際社会の目から遠ざけられてしまった。戦場は「捕虜、民間人の保護」などの配慮は皆無の、戦時国際法を完全無視した凄惨な殺し合いが始まった。

 スーダン政府が言うようにこれが小競り合いであるならば、少なくとも戦闘停止への努力をするべきである。ところがスーダン政府は、仲裁どころかアラブ人組織に加勢し、武器を与え全面的に支援した。一進一退だった戦況は一気にアラブ人有利に傾き、虐殺はアラブ人による黒人への一方的なものへと変化していった。

 2004年、国連事務総長のアナンは、この状況を「重大な人道危機」としてスーダン政府を非難したが、政府の返答は「内政干渉するな」という頑なものだった。この閉塞状態打開のため、国連安全保障理事会は、スーダン政府に対する経済制裁などの措置を協議したが、中国は棄権しこれに応じなかった。中国はスーダンから産出量の約70%もの石油を輸入しており、多くの武器を輸出している。その武器がそのまま虐殺を生んでいる。
 自国の石油利権に捕われて、国際社会と足並みを揃えない中国に非難が集まったが、もちろん中国にも言い分はある。中国はスーダンに限らず、アフリカ諸国に対して多額の援助を行ってきた。それは西側諸国の「透明で限定的な援助」とは異なり比較的自由に使いまわせる援助だったため、貧困にあえいでいたアフリカ諸国は飛びついた。中国はその見返りとして石油施設の多くを手に入れており、これは西側諸国から「資源外交」と揶揄されたが、中国政府は「アフリカ諸国との外交戦略で負けた西側諸国の妬み」と発言した。
 しかしながら、利権のためにはポルポト派などテロリストと手を結ぶことも辞さない外交戦略への非難は、妬みからだけのものだろうか。今回は人道上の問題が絡んできている以上、少なくとも外交の勝ち負けの話ではない。ところが中国のスーダンに対する見解は非常にとぼけたものだ。「経済制裁などではなく、継続的な援助と対話の中で解決していく」。苦労して手に入れた石油利権を他国に渡したくない。北京オリンピックまでは事を大きくしたくないと勘ぐられても仕方がない。

 そして2007年1月、アナンから韓国の潘基文に国連事務総長が変わったことで、この勘ぐりは確信に近いものになった。潘基文はダルフール問題の原因について「ダルフールの内紛は、中央アフリカの大幅な気候変動が原因」と断言したのだ。確かに気候変動がもたらした凶作は、貧困層の多いダルフール地方に大打撃を与えた。しかしながら、中国の経済制裁拒否や石油利権、武器売買に全く言及することなく、ことさら貧困問題を強調するのは不自然である。これでは中国の提灯持ちだと非難されても仕方がない。

 中国に対する批判は高まるばかりで、民間では映画監督のスピルバーグが「北京オリンピックは虐殺オリンピック」として非難の書簡を中国政府に送っている。フランスでは、ロワイヤル大統領候補が「北京オリンピックボイコット」について言及し、サルコジ大統領も「スポーツと政治は別」としながらも「殺人を黙って見過ごすの者も同罪だ」とスーダンと緊密な関係にありながら何もしない中国政府を非難した。

 しかし非難の声は高まっても、国際社会は効果的な解決策を見出せずにいる。国連は事務総長が潘基文に変わってから消極的であり、国際刑事裁判所も逮捕状を発行した段階で足踏みしている。中国はアメリカとの蜜月をアピールしながら、北京オリンピックまでのらりくらりと躱していくつもりだろう。アメリカも2003年以降、イラク問題の泥沼化などから軍事介入には消極的だ。確かにこれ以上、外国で自国の兵士を殺すわけにはいかないだろう。その上、2005年、スーダン内務省のフセインは、アメリカに対して次のように表明している。

 「民族間紛争は和解に達している、反政府勢力の背後にはイスラエルがおり、エリトリア経由で支援している。アメリカはチャドの原油に手をつけておりダルフールの原油を狙っている、ジャンジャウィードは武装強盗団であり、武装解除はできない。アラブ系指導者を犯罪者として引渡すことはない」スーダン政府はアメリカに「石油泥棒」のレッテルを貼ることに成功した。これでは下手に動けない。

 国際社会が手を拱く中、アフリカ連合(AU)が「停戦監視団保護」を名目にスーダンに軍隊を派遣したが、その兵力では「民間人保護」まではカバーできず、「非武装の村々にはAUの警護兵を置く」という提案もスーダン政府から拒否された。八方塞がりの中、世界は再びダルフールから目を閉じようとしている。目を閉じているうちになくなっていればいいなあと思っている。アラブ系住民の背後にある中国。非アラブ系住民の背後にあるイスラエル。そして見え隠れするアメリカとユダヤ資本のジレンマ。これは米中を筆頭とした新たな冷戦構造をも予感させる。今は遠い国の見知らぬ他人の殺し合いかもしれない。でも次に目を開けた時、世界はどうなっているだろう。

 2007年7月。中国商務省は、「中国石油大手の中国石油天然ガス集団(CNPC)が、スーダン北部紅海沿岸部で13の原油鉱区の探査権を獲得した」「鉱区の総面積は約3万8200平方キロで、探査ではインドネシアの国営石油会社プルタミナとスーダンの国有石油会社と提携する見通し」と発表した。国際社会の非難を無視し、挑発さえしているように思える。こんな時、日本政府は何をしているのだろうか。残念ながら多くの日本人はこの問題を知らない。日本のマスコミが中国の悪口を書きたがらないからだ。私たちはまず知らなければならない。

 隣国の友人として中国を毅然と非難しなければならない。それが無理だと言うなら、虐殺されている民間人を武力で保護するしかない。来年、同爺湖サミットがあるため、外務省は点数稼ぎに自衛隊派遣を主張するかも知れないが、私たちが何も知らないままで「人道上の問題」を誰が議論するのだろう。少なくとも外交上の点数稼ぎだけのために、自衛隊を戦場に放り込むわけにはいかない。彼等はダルフールの罪のない民間人を救うために行くのだと、せめて知った上で送り出してあげたい。

(川村彰)

http://www.janjan.jp/world/0707/0707108814/1.php